以下ネタばれ滅茶苦茶含むので感想というか考察みたいなのを書き綴ってみます。
ちなみに僕は事前情報は殆ど調べず、みた予告といえばピアノのアレ程度でまだ他の感想サイトも見てません。思ったままを書いて行きます。
さて、まず「序破急」という言葉の意味から見てみます。以下Wikipediaから一部抜粋。
【序破急】
「序」が無拍子かつ低速度で展開され、太鼓の拍数のみを定めて自由に奏され、「破」から拍子が加わり、「急」で加速が入り一曲三部構成を成す。
今回は【Q】とありますが、これで言うところの【急】に当たる物語です。その意味の通り、物凄いスピードで話が進みます。なにせ前作の【破】から14年も経過してるというのだからもう始まった途端にポルナレフ状態。
更にミサトさんたち主要ブリッジクルーは妙な空中戦艦に乗りこんで、【ヴィレ】とかいう組織でネルフ打倒の為に戦ってることになってるし、まったく訳が分からないよという状況。ぶっちゃけた話、映画が始まった瞬間エヴァを観に来た筈がナディアかトップかグレンラガンが始まったのかと心配になった程。まあ全部同じとこなので集大成と言えばそうなるのかなw
さて肝心の主人公、我らが碇シンジ君はと言うと、どうも前回のラスト、レイを助ける為に覚醒し、サードインパクトを起こしたまま初号機の中に閉じ込められ、周回軌道で14年も眠っていた模様(※場所については憶測)
冒頭の戦闘ではヴィレに所属を遷したアスカとマリがそこを強襲し初号機を奪取。南極大陸?あたりにあるヴィレの拠点に回収し、シンジを解放。目覚めたシンジはアスカの生存と、ミサト達との再会に喜ぶものの、以前とはまるで対応が違う。作戦では厳しくても、私生活では姉のような存在であるミサトにまで「必要ない」「何もしなくていい」と言われたシンジは何かがおかしいと感じ始め、その後の戦闘で現れたエヴァ零号機(実際にはMark.09)のレイと一緒にネルフへと戻る。
ネルフへと戻ったシンジは、そこで父であるゲンドウと再開し、渚カヲルと共に時が来たらエヴァに乗るように指示を受ける。レイとの再会を喜ぶシンジだけども、ここはお約束「私は三人目だから」状態で当時の記憶は一切なく、以前よりも遥かに人形になってしまってた。
そんな中でシンちゃんLOVEなカヲル君はここぞとばかりに急接近。一緒にピアノを弾いてシンクロ率を上げたりとずっとカヲル君のターン。
そういうのがしばらく続いた後、レイも異常だという事に気が付いたシンジは、カヲルから自分がしたことを教えられる。レイを助ける為にサードインパクトを引き起こしてしまった事。自分が引き起こしたことで人類がほぼ絶滅状態にあるという事実を聞いていつも通りの引き籠りモード突入。
ところが今回はカヲル君との関係がよかった事もあり、ロンギヌスの槍とMark.06が持っていたカシウスの槍を回収すれば、世界を修復できるという提案を受け入れ協力、自らの意思でエヴァンゲリオン第13号機にカヲルと共に搭乗。
この13号機はカヲルと共に乗ることを前提として製造されたエヴァ。何故二人乗りかというと、カヲル君曰く二つの槍を回収するには、二つの魂が必要とのこと。ピアノによってシンクロ率が高かったこともあり、回収作業中に襲撃してきたアスカの改2号機の攻撃を強力なA.T.フィールドで跳ね返し、槍の回収を行う。
しかし当初カシウスの槍だと思われていた槍が同じロンギヌスの槍であるということに気が付いたカヲルが、危険を察知してシンジに止めようと助言するも、シンジは構わず引っこ抜いてしまい、結果フォースインパクトを引き起こしてしまうものの、カヲルの死と13号機の破壊とシンジの脱出により初期状態で収束。同じく破壊されたMark.09のレイ、09を撃破する為に改2号機を自爆させ、脱出したアスカが一堂に会し、砂漠?と化した第三新東京市をどこかへ向かって歩き出すシーンで終了。
かなり端折ったけど、概ねこんな流れで【Q】は終わった。なんというか、観終わったあとの感想が「お、おう……」しか無くて昨日の「ねらわれた学園」よりも焦ったwww
まさに超加速。置いて行かれないようにするので精一杯だったという感じですねはい。全く理解できなかった、というよりもあまりの急展開と、膨大な情報で思考が追いつかなかった、と言う方が正しいかも。
しかしながらある程度時間が経って、色々と考えてる内に色々と気が付いたことがあります。
まず第一に、念頭に置かなければいかないのは
【今回でようやく、全くの新訳、新しいヱヴァンゲリオンが描かれた】
ということであるかと。
思い返せば【序】は細かい変更はあったものの、大まかな流れは旧世界版の流れと変わっていない。【破】ではそれ以上に大きな変更はあったものの、そこに至るまでの流れは旧世界版のそれを汲んでおり、また旧世界版では取らなかった行動を各々が取ることによって、新しい展開が生まれた。そして今回【Q】において、全く新しい世界、破によって破壊された従来のエヴァンゲリオンという世界が一気に語られる。
今回のエヴァが全く理解できない、というのはこの「全く新しいヱヴァンゲリオン」であることが大きいと感じます。何故ならば、破までは前述のように、新しい要素はあったものの、キャラクターなどの骨子は旧世界版と同じだし、その根底にあるものは同じだったから。だから旧世界版と比較することによって、理解することが出来た。しかし今回はそれが全く出来ない。それができないもう一つの理由が
【碇シンジというキャラクターを描くのではなく、碇シンジというキャラクターと共に観る作品である】
というのが挙げられるかと。
従来の、特に旧世界版のエヴァは、特に碇シンジという一人の少年の内面、心を描いていたと個人的には思ってます。電車の中での会話、深層心理の描写がそれを物語っているかと。特にTV版では結局のところ他人に必要とされても、自分で自分を認められない、他者を拒絶することしか出来なかったシンジが、最終的に自分の存在を認め、自らがここに存在しても良いということを理解した。というのがあの「おめでとう!」のシーン。(だと個人的には思ってる
まあ結局あれは一つの可能性ということで実際のところはそんなオチにはならず、人類補完計画の最終段階ギリギリでやっぱり他者を拒絶した訳ですが。恐らくちゃんと自己を認め、他者を受け入れるようになっていたら「全ての人類が一つになる」という人類補完計画は完成してたんじゃないかなと。まあ勝手な解釈ですが。
ともかく、旧世界版は碇シンジという少年と、彼をとりまく周囲の人間の心理面が強く押し出されていたと思うんですね。それを理解していたからこそ、そういう事が旧世界版であったからこそ、序破までは理解出来たんじゃないかなと。
それが今回は出来ない。というか、新世界版になってからよく考えてみると心の内、葛藤の象徴である電車のシーンって殆どなかったんじゃないかって。あったかもしれないけど、少なくともQからは全く関係ない。何故なら今回、視聴者とシンジの置かれた立場というのは全く同じなのよね。
「気が付いたら14年経っていて、何が何だかわからない」
恐らく視聴者も14年経っているという情報は知らなかったんじゃないかな。少なくとも僕は劇場で初めて知りました。
破のラストからいきなりあんな状況に置かれて、全く理解できないまま相変わらず状況に流される。
視聴者にしてみても、全く新しい展開で旧世界版との比較は殆ど出来ない状況。どうなるのか全く分からない。ここにきてようやく、碇シンジというキャラクターは視聴者と同じ立ち位置の主人公になったのかなと。いや逆か、ようやく視聴者は碇シンジというキャラクターと同じ立ち位置についたのか。もしかしたら両方かな?
そして、どうして【急】が【Q】になったのか。なんか当初は【Quickening】ということで【Q】みたいな話を聞いたけど、もしかしたら【Question】のQでもあるのかなと。
エヴァンゲリオンという作品は、その多くが謎のまま旧世紀版は完結した。
「謎」であるから、ファンは議論をして、謎を解き明かしその本質に迫ろうとした。それこそがエヴァンゲリオンという作品をここまで衰退させずに続けさせた原動力だと思う。勿論パチとかの進出によって認知度が高まったというのもあるけど。
そういうのを踏まえて考えると、どうしていきなり【Q】という表記になったのかというのは、そういう事なのかなって、観終えた現状ではそう思える。まあ深読みしすぎなのかもしれないけど。
とまあこんなことを受信しました。
別に僕はエヴァ信者という訳でもないし、何か特に書籍を漁ったり詳しいファンの方と議論を交わした事もないので、全くの的外れな感想かもしれないけど、とにもかくにも観終えて色々と整理した結果、こんな感想を抱いた次第であります。